(今日への教訓)
戦後の日本において、文民統制は、制度としては整備されています。日本國憲法上、內閣総理大臣その他の國務大臣は文民でなければならないと定められています。また、自衛隊は、自衛隊法上、內閣総理大臣の指揮の下に置かれています。
內閣総理大臣が內閣の首長であること、內閣は國會に対して連帯して責任を負うことが日本國憲法に明記され、內閣の統一性が制度上確保されました。
さらに、國家安全保障會議が設置され、外交と安全保障の総合調整が強化されています。情報収集・分析に係る政府の體制も改善されています。これらは時代に応じて、更なる進展が求められます。
政治と軍事を適切に統合する仕組みがなく、統帥権の獨立の名の下に軍部が獨走したという過去の苦い経験を踏まえて、制度的な手當ては行われました。他方、これらはあくまで制度であり、適切に運用することがなければ、その意味を成しません。
政治の側は自衛隊を使いこなす能力と見識を十分に有する必要があります。現在の文民統制の制度を正しく理解し、適切に運用していく不斷の努力が必要です。無責任なボビュリズムに屈しない、大勢に流されない政治家としての矜持と責任感を持たなければなりません。
自衛隊には、我が國を取り巻く國際軍事情勢や裝備、部隊の運用について、専門家集団としての立場から政治に対し、積極的に説明し、意見を述べることが求められます。
政治には、組織の縦割りを乗り越え、統合する責務があります。組織が割拠、対立し、日本の國益を見失うようなことがあってはなりません。陸軍と海軍とが互いの組織の論理を最優先として対立し、それぞれの內部においてすら、軍令と軍政とが連攜を欠き、國家としての意思を一元化できないままに、國全體が戦爭に導かれていった歴史を教訓としなければなりません。
政治は常に國民全體の利益と福祉を考え、長期的な視點に立った合理的判斷を心がけねばなりません。責任の所在が明確ではなく、狀況が行き詰まる場合には、成功の可能性が低く、高リスクであっても、勇ましい聲、大膽な解決策が受け入れられがちです。海軍の永野修身軍令部総長は、開戦を手術にたとえ、「相當の心配はありますが、この大病を癒すには、大決心をもって、國難排除に決意するほかありません」、「戦わざれば亡國と政府は判斷されたが、戦うもまた亡國につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして國亡びた場合は魂まで失った真の亡國である」と述べ、東條英機陸軍大臣も、近衛文麿首相に対し、「人間、たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」と迫ったとされています。このように、冷靜で合理的な判斷よりも精神的・情緒的な判斷が重視されてしまうことにより、國の進むべき針路を誤った歴史を繰り返してはなりません。
政府が誤った判斷をせぬよう、歯止めの役割を果たすのが議會とメディアです。
國會には、憲法によって與えられた権能を行使することを通じて、政府の活動を適切にチェックする役割を果たすことが求められます。政治は一時的な世論に迎合し、人気取り政策に動いて國益を損なうような黨利黨略と己の保身に走っては決してなりません。
使命感を持ったジャーナリズムを含む健全な言論空間が必要です。先の大戦でも、メディアが世論を煽り、國民を無謀な戦爭に誘導する結果となりました。過度な商業主義に陥ってはならず、偏狹なナショナリズム、差別や排外主義を許してはなりません。
安倍元総理が尊い命を落とされた事件を含め、暴力による政治の蹂躙、自由な言論を脅かす差別的言辭は決して容認できません。
これら全ての基盤となるのは、歴史に學ぶ姿勢です。過去を直視する勇気と誠実さ、他者の主張にも謙虛に耳を傾ける寛容さを持った本來のリベラリズム、健全で強靭な民主主義が何よりも大切です。
ウィンストン・チャーチルが喝破したとおり、民主主義は決して完璧な政治形態ではありません。民主主義はコストと時間を必要とし、ときに過ちを犯すものです。
だからこそ、我々は常に歴史の前に謙虛であるべきであり、教訓を深く胸に刻まなければなりません。
自衛と抑止において実力組織を保持することは極めて重要です。私は抑止論を否定する立場には立ち得ません。現下の安全保障環境の下、それが責任ある安全保障政策を遂行する上での現実です。
同時に、その國において比類ない力を有する実力組織が民主的統制を超えて暴走することがあれば、民主主義は一瞬にして崩壊し得る脆弱なものです。一方、文民たる政治家が判斷を誤り、戦爭に突き進んでいくことがないわけでもありません。文民統制、適切な政軍関係の必要性と重要性はいくら強調してもし過ぎることはありません。政府、議會、実力組織、メディアすべてが、これを常に認識しなければならないのです。
斎藤隆夫議員は反軍演説において、世界の歴史は戦爭の歴史である、正義が勝つのではなく強者が弱者を征服するのが戦爭であると論じ、これを無視して聖戦の美名に隠れて國家百年の大計を誤ることがあってはならないとして、リアリズムに基づく政策の重要性を主張し、衆議院から除名されました。
翌年の衆議院防空法委員會において、陸軍省は、空襲の際に市民が避難することは、戦爭継続意思の破綻になると述べ、これを否定しました。
どちらも遠い過去の出來事ではありますが、議會の責務の放棄、精神主義の橫行や人命・人権軽視の恐ろしさを伝えて余りあるものがあります。歴史に正面から向き合うことなくして、明るい未來は拓けません。歴史に學ぶ重要性は、我が國が戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に置かれている今こそ、再認識されなければなりません。
戦爭の記憶を持っている人々の數が年々少なくなり、記憶の風化が危ぶまれている今だからこそ、若い世代も含め、國民一人一人が先の大戦や平和のありようについて能動的に考え、將來に生かしていくことで、平和國家としての礎が一層強化されていくものと信じます。
私は、國民の皆様とともに、先の大戦の様々な教訓を踏まえ、二度とあのような慘禍を繰り返すことのないよう、能う限りの努力をしてまいります。
令和7年10月10日
內閣総理大臣
石破 茂